文化人類学

1 作成の背景

2008年(平成20年)4月、日本学術会議は、文部科学省高等教育局長から学術会議会長宛に「大学教育の分野別質保証の在り方に関する審議について」と題する依頼を受けた。このため日本学術会議は、同年6月に課題別委員会「大学教育の分野別質保証の在り方検討委員会」を設置して審議を重ね、2010年(平成22年)7月に回答「大学教育の分野別質保証の在り方について」を取りまとめ、同年8月に文部科学省に手交した。

同回答においては、分野別質保証のための方法として、分野別の教育課程編成上の参照基準を策定することを提案している。日本学術会議では、回答の手交後、引き続きいくつかの分野に関して参照基準の策定を進めてきたが、今般、文化人類学分野の参照基準が取りまとめられたことから、同分野に関連する教育課程を開設している大学をはじめとして各方面で利用していただけるよう、ここに公表するものである。なお、この参照基準を作成するにあたり、英国高等教育質保証機構の「分野別参照基準:人類学」(2007年)を大いに参照している。

2 報告の概要

(1)はじめに

欧米、特にアメリカ合衆国では文理融合の分野として発達した人類学は、日本では、自然人類学と文化人類学という各々独立した分野として、自然科学系と人文・社会科学系の学部に別に設置された結果、それぞれ独自に発展した。したがって、この提言を発する第一部地域研究委員会人類学分科会は、文化人類学分野のみを扱うものとする。「文化人類学」とは、「民族学」「民俗学」「社会人類学」等を含む包括的な分野を示す。

(2)文化人類学の定義

人類学は、言語・象徴能力を有する生物的かつ社会的存在としての人間を対象とする学問である。人間の多様性と共通性を考察の対象とし、全体的な把握と比較の観点を根拠としつつ、批判的で内省的な研究を目指している。

文化人類学は人間の社会的存在としての特性を多様な文化の観点から研究する。「参与観察」の手法を用いるフィールドワークによって、ひとつの社会の人びとの生活を総合的に把握する質的アプローチによる民族誌的研究と、それらを世界規模で比較し、共通点と差異を見いだす文化間比較を研究の両輪としている。

(3)文化人類学固有の特性

文化人類学は人間の社会行動のほとんどすべての様相を研究し、その対象は親族関係から物質文化、認識、経済、政治、宗教にまで及ぶ。そのような関心から、文化人類学者は人間同士や人間と他の動物、神々、あるいは機械などの人工物との相互作用に焦点を当て、小さな地域コミュニティから大都市に至るまでの社会生活の様相を調査し、個人の経歴から民族、国民、そして国境を越えたネットワークまでを考察対象とする。さらに文化人類学は、文学作品、贈与交換、ジェンダー、官僚制など、一見ばらばらな事象の相関関係に注目する領域横断的性格を持つ。文化人類学は全体を見る視野と世界の文化や社会へ目配りする俯瞰的視野の広さや多様性に向ける関心によって、社会常識を再検討する能力を有する。

(4)文化人類学を学ぶすべての学生が身に付けることを目指すべき基本的な素養

人類の社会と文化の多様性への深い理解と感受性を養い、異なる文化・社会にそれぞれ特有の世界観や認識の仕方があることへの理解を深めることが重要である。そのためには、文化人類学を人間社会の比較研究と捉え、フィールドワークについて理解し、またそれ以外のデータ収集の方法にもなじむことが必要であり、その上で文化人類学の理論と知識を身に付けることを目指すべきである。その結果、人間がいかに社会環境、文化環境、自然環境によって形成され、またそれらと関係をとりながら生きているかを理解し、その社会や文化、自然の多様性を認識する能力、民族誌の記述の作成・分析の能力、文化の異なる人びとと偏見を交えずにつきあえる能力などを養うことができる。

(5)学修方法および学修成果の評価方法に関する基本的な考え方

知識の教授にとどまらず、知的好奇心を刺激し、自立的な思考による能動的な学修姿勢を身に付けた学生を育てることを目標とする。様々な学修素材を用いた講義やセミナーを通して、学生自身の発展学修へと導くことが重要である。また、博物館や美術館、パフォーマンス、文化の祭典等々の見学などの実践活動を行ったり、フィールドワーク実習を行って報告書を作成する活動は、文化人類学の教授法・学修法で大変重要な部分を占めている。

(6)市民性の涵養をめぐる専門教育と教養教育との関わり

文化人類学を学ぶことによって、多様な学際分野ばかりか、ナショナリズム、多文化共生、ジェンダー、グローバリゼーション等々の広い領域に関して知識を得、考察を行う機会を得る。実践的な体験学修の場から、学生は実社会との接点を持ち、コミュニケーション能力を備え、多文化共生市民社会に適応し、国際的な場で活躍する能力を身に付けることが出来る。文化の違いについての感受性や敬意を養い、異文化へのアプローチの仕方を指導する文化人類学はまた、市民性を養う教養科目としても優れている。現代のグローバル人材に求められている異文化を理解する能力と感受性を養う導入として、留学のために海外に出発する学生にも是非とも必要な科目である。

(7)教員養成と文化人類学

「地理歴史」「公民」の高等学校教育において、国際理解や文化理解、グローバル化に対応していくことが必要である。そのためには、これら科目の教員となる学生にとって「文化人類学」を学ぶことが必要である。