心理学

作成の背景

2008年(平成20年)4月、日本学術会議は、文部科学省高等教育局長から日本学術会議会長宛に「大学教育の分野別質保証の在り方に関する審議について」と題する依頼を受けた。このため日本学術会議は、同年6月に課題別委員会「大学教育の分野別質保証の在り方検討委員会」を設置して審議を重ね、2010年(平成22年)7月に回答「大学教育の分野別質保証の在り方について」[1]を取りまとめ、同年8月に文部科学省高等教育局長に手交した。 

同回答において日本学術会議は、分野別質保証のための方法として、分野別の教育課程編成上の参照基準を策定することを提案している。日本学術会議では、回答の手交後、引き続きいくつかの分野に関して参照基準の策定を進めてきたが、今般、心理学分野の参照基準が取りまとめられたことから、この分野に関連する教育課程を開設している大学をはじめとして各方面で利用していただけるよう、ここに公表するものである。なお、日本のものと多少異なるが、米国([2]、[3]参照)や英国([4]参照)でも心理学分野の参照基準を作成している。

報告の概要

本報告の各章の概要は、以下の通りである。

(1)心理学の定義

心理学は、心とは何かを問い、心のはたらきを明らかにする学問領域である。そのために、人間が外界からの情報を取り入れ、理解し、最終的に適切な行動を取るにいたる過程を現象的に、機能的に、また、それを支える脳の機能にまで遡って明らかにすることを目的とする。また、心理学は社会科学諸領域とも深い関係を持っており、基礎的な学問領域であると同時に、基本的な問いへの探求から生じてきた様々な知見を、教育、福祉、臨床、産業、情報技術などの多様な場面へ適用することを目指す実践的な学問としての側面を持っている。

(2)心理学に固有の特性

純粋科学の課題と現代社会に生きる人間が抱える課題とを探求する心理学固有の視点は、①人間の心について科学的に探求する視点、②学問知とフィールド知を双方向的に探求する視点、③心理学が直面する社会的諸課題に応える視点の3つの視点から捉えることができる。また、心理学は他の諸科学とは異なる独自の方法を確立し、①学としての厳密性と人の幸福の両立を目指す諸学の要としての役割、②状況に対応するいろいろな行動の普遍的事実を見いだす研究法の開発を行う役割、さらに、③個々に異なる人の特性の複雑な面を捉える役割を担っているのである。

(3)心理学を学ぶすべての学生が身に付けることを目指すべき基本的な素養

学士課程で心理学分野を学ぶ場合、教養教育の一つとして心理学を学ぶ一般学生と、心理学を専攻する学部・学科生とでは、獲得すべき知識と理解に質的にも量的にも違いがある。一般学生が獲得すべき最も基本的な素養としては、①心のはたらきとは何かを実証に基づいて理解する、②人間に共通する心的作用や行動パターンから、心と行動の普遍性を理解する、③心と行動の多様性と可塑性を理解する、④心理学の社会的役割を理解するという4つがある。 

心理学専攻の学生には、これら4つに加えて⑤心を生み出す仕組み(機構)と心理学の諸理論の正確な理解、⑥心理学的測定法と心理アセスメント、心理学実験の修得が、身に付けるべき素養であるが、これら心理学に固有の知識の修得だけでなく、隣接分野との接続についても学ぶ必要がある。また、これらに関わる心理学分野の学びを通して獲得すべき基本的な能力には、心理学に固有の能力として、(ア)人間を総体として客観的に理解する能力、(イ)心の多様性と普遍性を理解する能力、(ウ)人間と環境との交互作用を理解する能力、(エ)人間に関する専門職業人として社会貢献する能力がある。また、ジェネリックスキルには、(ア)人間を複眼的に見る力、(イ)批判的実証的態度、(ウ)問題発見・解決能力、(エ)コミュニケーション能力がある。これらは、心理学の専門家に限らず、社会で活躍する人材にとっても有用である。

(4)学修方法および学修成果の評価方法に関する基本的な考え方

心理学教育の学修方法は、①心理学の潮流と心の科学への取組みの基礎的理解を目的とする講義、②心を研究する学問知とフィールド知の双方向性を理解する演習・セミナー、③研究手法の技術修得を目標とする実習科目としての実験・実習、④学修の成果を、自らが行う研究活動として結実させ、論文にする卒業研究・卒業論文の4つに分類される。

これらの学修方法による学修成果に関わる評価方法は、学士力の質保証にとって重要な役割を果たす。また、学修成果の評価は、学修者自身の学士力に関する説明責任の基礎となるため、教育する側としては、各授業の学修目標に従って立てられた達成目標の段階を具体的に示すことが必要である。学修者は、その達成目標の段階に沿って、学修成果を自己評価することにより、心理学教育で何を学び、何ができるかの説明責任が果たすことができる。

(5)市民性の涵養をめぐる心理学的教養と心理学の専門教育

学士課程の教養教育を通して、一定の水準の心理学的素養を身に付けることは、自らを知り社会に貢献できる人材の養成という点から重要である。また、教養教育での心理学の学修は、心理学の効用の理解を深める上で意義があり、学問としての市民性を涵養する上で重要な役割を果たす。心理学の専門教育を通して知識や技術を発揮できる専門家・専門職を輩出することは、心理学の正しい理解を社会に定着させ心理学の社会的貢献を進展させる上で重要である。