土木工学・建築学

1 作成の背景

2008年(平成20年)4月、日本学術会議は、文部科学省高等教育局長から日本学術会議会長あてに「大学教育の分野別質保証の在り方に関する審議について」と題する依頼を受けた。このため日本学術会議は、同年6月に課題別委員会「大学教育の分野別質保証の在り方検討委員会」を設置して審議を重ね、2010年(平成22年)7月に回答「大学教育の分野別質保証の在り方について」を取りまとめ、同年8月に文部科学省に手交した。

同回答においては、分野別質保証のための方法として、分野別の教育課程編成上の参照基準を策定することを提案している。日本学術会議では、回答の手交後、引き続きいくつかの分野に関して参照基準の策定を進めてきたが、今般、土木工学・建築学分野の参照基準が取りまとめられたことから、同分野に関連する教育課程を開設している大学をはじめとして各方面で利用していただけるよう、ここに公表するものである。

2 報告の概要

(1)土木工学・建築学の定義

土木工学・建築学は、人類生存に欠くことのできない構築環境を計画・設計し、建設し、維持・管理し、自然環境との調和を図るための理論と応用、そして技術を学ぶ学問である。構築環境(Built Environment)とは、人の手が加えられた環境のことであり、住宅、学校、病院等の建築物から、道路、堤防、橋、トンネル、鉄道、港湾、空港等の構築物や、上下水道、電力・ガスのライフライン、各種生産活動のための諸施設等、さらにそれらを構成要素とする都市空間、地域空間を指すことから、それらが安全、健康、快適であり、便利で効率の良いことが求められる。また、人々が豊かな社会生活を送ることができるとともに、自然災害から守られ、自然環境との共生が図られ、人類の発展に寄与するものでなければならない。さらに、構築環境は、その地域の気候風土、文化、社会環境と密接につながっており、地域に調和した形態、構造的強度、環境的性能等を備えるべきであることから、工学、理学、農学をはじめ人文・社会科学等を含むあらゆる分野との協働が大切である。

(2)土木工学・建築学固有の特性

現代に生きる人類にとってその生活する環境のほとんどが、地球上に人の手によって築かれた構築環境の中にあると言える。土木工学並びに建築学を学ぶことは、将来この分野での専門家となるべく教育を受ける立場以前に、土木工学・建築学によって構築される環境を、一人の市民として自らが日々の日常生活の中に実感・享受する立場からも、極めて身近な対象を学ぶことであり、常に現実の社会や将来のあるべき姿との関連において洞察されるべきものである。さらに、土木工学・建築学は共に人文、社会、自然を問わずに幅広い諸科学を取り扱うだけでなく、美観・景観等を総合する学問領域である点に特徴を有している。

土木工学は、防災、交通、エネルギー供給や水資源、都市計画等、社会基盤そのものの形成に関わる技術であり、その構築物は公共的な性格が強く、国家を超えて地球的な意味で、人類ないし生物全体の生活・生存環境の根幹に関わる重要な学問領域である。

建築学は、建築物という生活の器を通して、我々の日常生活に近い空間の機能、構造、設備等の調和を図り、人の感性に直接働く空間の美しさや快適さを生み出すと同時に、敷地周辺の自然環境、歴史・風土等にも強く関連し、市民生活により密接に関わる学問領域である。

土木工学・建築学においては、個別の技術体系を学ぶだけでなく、与えられた条件の下で、自然科学の応用である技術を総合化し、関連する様々な観点に立って、解が一つにはならない問題に対して、多様な解決策を創出するための「デザイン」の能力が求められ、そのカリキュラムの中には「設計」「演習」ないしは「卒業設計」等を含むものである。

(3)土木工学・建築学を学ぶすべての学生が身に付けることを目指すべき基本的な素養

① 土木工学・建築学の学びを通じて獲得すべき基本的な知識と理解

土木工学・建築学を学ぶ者には、工学の基盤である数学や力学等の自然科学の基礎知識に加えて、土木工学・建築学に対する社会的要請を受けて体系化されてきた自然科学の知識、人文・社会科学の知識、力学に関連する基本的事項の理解、環境への負荷を最小限に抑えつつ快適性・健康性を実現するための基本的事項の理解、計画と意匠に関する基本的事項の理解、情報処理に関する基本的事項の理解、技術者としての倫理観等について基礎的な知識と理解が求められる。さらに、社会が要請する多様な目的に合わせて、個別の基礎知識を総合化し、具体的な社会基盤や建築物を計画・設計・実現することのできる能力が求められる。そのためには、都市・地域システムを構成する様々な個別要素の相互関連を俯瞰的に理解することが必要であり、フィールド調査やプロジェクト学修を通じてその能力を涵養しなければならない。

② 土木工学・建築学の学びを通じて獲得すべき基本的能力

土木・建築技術は、環境に負荷が小さく、安全・安心な住宅・公共施設や都市基盤システムを効率的に市民や社会に提供するための実践手段であり、土木工学・建築学はその裏付けとなる理論と技術の体系である。

土木工学・建築学を学ぶ学生が学士課程において獲得すべき基本的な能力は、専門職業人としてどのようなレベルで土木工学・建築学と関わるかによって若干異なる。しかし、最適な解決策を見出すための総合的判断力やコミュニケーション力だけでなく、社会の先駆けとしてより望ましい状況を作り出すことにも貢献するべきであるという点は共通している。

土木工学・建築学の学修は、様々な自然環境と社会環境の中で、個々の構造物から都市・地域システムの全体に至るまで、多様なヒューマンスケールを持つ対象に働きかけて計画・設計・施工・管理を進めるための一般的知識・能力と専門的知識・能力の修得を目的としている。その学修過程では他の工学分野と同様に、物理現象が生じるメカニズムを正しく理解し、正確な分析と総合的な判断によって問題を合理的に解決することを学ぶとともに、人文・社会科学の諸分野と同様に、現実の社会・人間についての洞察を深める必要がある。

(4)学修方法および学修成果の評価方法に関する基本的な考え方

土木工学・建築学の学修のための教育においては、主に、講義、実験、設計、演習、実習、課題研究(卒業論文、卒業設計、卒業計画を含む)等の多種多様な教育方法を、目的に応じて選択や重み付けをする等、有機的に組み合わせることが有効である。評価対象については、基礎知識や専門知識についての理解度、知識の総合化能力、課題発見・分析・解決能力、コミュニケーション能力、マネジメント能力、倫理的事項についての判断力等があるが、それぞれの教育内容・教育方法、および個々の学修者の状況に対応して、多様でかつ柔軟な評価方法が取られるべきである。

(5)市民性の涵養のための専門教育と教養教育との関わり

土木工学・建築学は、人々の生活や産業を支える空間の基盤を構築する学問分野である。したがって、これを学ぶためには、専門的な知識や視野に加えて、一人の生活者としての深い市民性の意識を併せ持つことが肝要である。土木工学・建築学の教育では、工学、デザイン、および幅広い教養教育全般にわたる諸学問の有機的関わりを教授することが極めて重要である。さらに、地球上のすべての人類、ひいては動植物に至る自然界のすべての生命体に対する想像力や責任感を涵養し、それらの共存・共生に寄与する意識を養う教育が求められている。土木工学・建築学の専門家には、意見や立場を異にする多くの人々とのコミュニケーション能力が必要とされ、言語能力、語学力に加えて、異なる文化や個性に対する想像力、洞察力等が求められる。さらに、これらを通じて豊かな市民性を涵養することがひときわ重要である。

(6)土木工学・建築学と社会との関わり

工学分野の中でもとりわけ土木工学・建築学は社会および自然と密接な関係を持っている。土木工学・建築学が生み出す構築環境は、古来より自然の脅威から人間の生命と財産を守り、災害を防ぐとともに、生産活動の基盤として人間社会の発展・維持のために不可欠な社会基盤を形成してきた。これらの構築環境と人間社会の間には緊密な関係がある。形作られた構築環境に大きな信頼を寄せることで人間社会は成り立っており、土木工学・建築学はその付託に対して大きな責任を有するとともに、その技術の適用に際しては強い倫理意識が求められる。