医学分野

作成の経緯

日本学術会議では、文部科学省への回答「大学教育の分野別質保証の在り方について」(2010年7月)に基づき、学士課程の分野別参照基準の策定を進めてきた。医学分野では文部科学省による「医学教育モデル・コア・カリキュラム」と厚生労働省が実施する「医師国家試験」が医学教育の大きな主軸となり、医学教育の質は保証されてきた。近年、国際基準に基づく医学教育分野別評価が日本医学教育評価機構によって実施されるなど、我が国における医師養成のあり方は変革期にある。このような現状を踏まえ、医学の普遍的で共通の理念・考え方として「医学分野参照基準」を取りまとめた。医学分野のみならず関連分野において教育課程を編成する上で利用いただけるよう公表するものである。

医学教育制度の変遷

わが国の医学教育制度は大きな変遷を遂げてきた。40年前には、確固たる倫理観や社会的使命など、現在のプロフェッショナリズム教育に通じる議論がなされた。30年前には、後に全国的に普及する模擬患者参加型教育や診療参加型臨床実習など、具体的な教育方略に踏み込んだ提言や、学生による医行為が医師法違反と解釈される可能性など、医学教育と社会規範との間に生じる相反の整理がなされた。20年前には、今世紀に向けた抜本的な医学教育改革の提言、15年前には医学教育モデル・コア・カリキュラムが提言され、10年前から臨床実習開始前の共用試験が正式に実施され、臨床研修が必修化された。ここ数年は、国際基準を踏まえた医学教育分野別評価による教育の質保証の制度化が進んでいる。

医学の定義

「医学」は人体の構造と機能を解明し、精神的・肉体的疾病の診断・治療・予防などについて科学的に研究する学問で、人の健康の維持・増進が目的である。一般に基礎医学、臨床医学、社会医学の3分野に体系化され、基礎医学は健常と病的な状態での人体の構造や機能を明らかにする学問で解剖学、生理学、病理学などがある。臨床医学は診療に必要な知識、態度、技能を修得することに関わる学問で内科学、外科学、小児科学、産婦人科学などである。社会医学は健康・疾病と社会の関係を研究する領域で衛生学、公衆衛生学、法医学などがある。医学は他の様々な自然科学の領域と深く関連しあいながら、科学的方法論を駆使して人体の構造、機能、疾病について研究し、疾病を診断・治療・予防する方法を開発し発展してきた学問である。一方、医療は医学に基づいて人に対し健康の維持、回復、促進を図ることを目的に行う諸活動で、実際の病む人を総体として対象にする。

医学の特徴

医学は科学の一分野に位置づけられるが、身体的、精神的活動を行う人間を対象にすることが他の科学分野とは大きく異なる。特に病気を持つ人を扱う医療では自然科学的側面だけでなく、倫理学、社会学など人文科学の側面を配慮しなければならない。科学の発展とともに医学も大きく進展し、細分化が進められてきたが、各分野を統合し全人的に医療を行えることも重視される。これらを背景に医学部教育では一般教養教育、基礎医学教育、臨床医学教育、社会医学教育が有機的に行われなければならない。医学・医療は社会のニーズに対応することも重要で、少子高齢化などへの対応、地域医療、国際貢献なども含まれる。さらに薬学、看護学など他医療職種との関わりも大きい。医師としてのプロフェッショナリズム、使命を教育し、国民の健康維持、増進に貢献する人材の育成が求められる。

5 医学を学ぶ学生が身に付けるべき基本的素養

医学では生命現象、人体の構造・機能、病態、診断、治療、予防など、医学全般に関する知識を理解し修得することが求められる。健康と疾病の考え方、専門職としてのプロフェッショナリズムと使命感、生命倫理に対する深い理解が重要である。このような医学知識に基づき、基本的な診察手技や検査結果に対する判断、診断へ向けた臨床推論、インフォームドコンセントなど医師としての基本的な診療能力を身につける。さらに医療安全、他の医療職との連携、地域医療や福祉制度についても基本的な知識と理解が重要である。医学の学修を通して科学的・論理的思考能力、問題解決能力、コミュニケーション能力、危機管理能力、情報収集・処理能力、リーダーシップ能力、医療経済、知的財産・特許などの社会生活でも必要とされる能力も涵養される。

学修方法及び学修成果の評価方法に関する基本的な考え方

医学部教育では医学・医療に関する知識・態度・技能を修得させることが重要である。この目的には、旧来型の講義にとどまらず、テュートリアル教育、問題解決型の自己学修、臨床実習を充実させ、卒業後に最良の医療が実践でき、かつ生涯を通じて自主的に学ぶ能力を涵養することが求められる。臨床実習では医学生が“Student Doctor”として医療チームに参加し、実践的な医療を学ぶことが推奨されている。一方で、医学・医療の発展に貢献するため研究マインドの涵養も重要で、研究室配属などを進めることが求められる。学修成果に対する評価も重要であり、筆記試験で医学知識を問うだけでなく、客観的臨床能力試験、学修ポートフォリオなどの多様な評価方法により、医療の実施に必要な態度や技能の修得も客観的に評価し質の高い医師の育成が目指される。

市民性の涵養、生涯にわたる学修と大学の医学教育

学士課程の学修を通して社会全体の発展、経済やグローバルな諸問題についても論じられる視点を持つことが、医学教育が真に公共性に寄与し得るものとなる。医学教育は初等・中等教育における人間形成や基礎学力が重要な基盤となり、大学では医学の専門教育とともに、人間性の涵養と医療人としての素養を充実するための教養教育に加え、医療に特化した医の倫理、医療経済学、医療統計学等を医学教育の中に融合することが求められる。また、臨床医だけでなく医学研究者や次世代を養成する教育者を育成することも重要で、行政、創薬、機器開発などでも活躍できる能力開発も期待される。医学が常に深化し医療が恒常的に高度化していく現状から、医師は生涯にわたって自己学修を続ける必要がある。